運命が変わったのは同年5月26日の日本ハム戦(神宮)。マウンドに上がった1球目が大きくすっぽ抜けると、そのまま降板。 「すっぽ抜けて、『何かやばいな』とは思いました。ブチブチという音がしましたし、痛いし、じわっとしている、ジンジンしている感じがしました。結果的にあの日が1軍最後の登板になったので、忘れることはありません」 最初の診断名は「右肩甲下筋の肉離れ」。故障の度合いは3度に近い2度という重傷だった。さらに肩関節亜脱臼、前方関節包靱帯(じんたい)断裂も重なり、棘下筋や棘上筋もひどく損傷。
さまざまな手術法を探りながらたどりついたのは大腿筋膜(太ももの筋膜)を右肩に移植し、靱帯と腱板を再建するという大手術。
24年シーズンこそ、1軍の舞台に立つことを目標にして臨んだのだが…。
「正直、手術を受けると決めた時点で『今年で終わりだろうな』とは思っていました。また1年かかりますし、年齢を考えても来年30歳。リハビリでどこまで戻っている段階を見せられるかなと思っていたんですけど、そこまで戻っている感じがなかった。戦力外を受けて、当たり前だなと納得しました」
604 どうですか解説の名無しさん 警備員[Lv.10][新芽] (ワッチョイ 4996-+nkV [2001:268:7314:64ac:*]) :2024/12/14(土) 16:25:22.45 ID:9bRvUiRT0
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