| 米殿堂入りA・ジョーンズ氏 楽天で日本一は「キャリアの中でも大きなハイライト」「毎日野球を楽しめた」 - スポニチ Sponichi Annex (出典:スポニチ Sponichi Annex) 特にブレーブスから移籍直後だった2008年はドジャースで75試合出場にとどまり、打率・158、本塁打はわずか3本と不振に陥った。「ドジャースには、彼らが期待していた最高の自分を見せることができなかった。そのことに対して、自分自身にとても腹が立っていた。チャンスを与えてくれたチームには、いつも全力を尽くしてきたつもりだったからだ」と自身への不満を口にした。 その後は「すべてが下り坂になっていったように感じている。野球選手として、自分が本当にやりたいことをやれる状況ではなかった」と苦しみもがいたという。 そんな中、「これだけ野球が好きなんだから、日本に行ってプレーするのはどうだろう」と思い始め、転機が訪れた。それが、日本球界、楽天への移籍だった。「チャンスをもらって日本に行き、そこで優勝することができた。毎日試合に出て、毎日野球を楽しめたし、それは私のキャリアの中でも大きなハイライトだった」とジョーンズ氏。2013年は4番打者として打線を引っ張り、球団初のリーグ優勝、日本一に貢献。若い選手が多かったチームに「勝利の哲学」を浸透させた。 2014年も楽天でプレーしたが「その頃には子どもたちも成長してきて、もっと一緒に過ごす時間が必要だと感じるようになった。そして私は、現役を終える決断をした」と同年限りで退団。その後、現役を退いたが、楽天での2年間で50本塁打を放ち、チームの中心打者として奮闘。東日本大震災からの復興途中だった東北に大きな希望を与えた。 |
| 【楽天】銀次&岡島豪郎アンバサダー、アンドリュー・ジョーンズ氏を祝福「日本一は一生の思い出」 - nikkansports.com (出典:nikkansports.com) 元楽天のアンドリュー・ジョーンズ氏(48)が20日(日本時間21日)、全米の野球殿堂入りを果たし、13年、14年の在籍時にチームメートだった楽天銀次アンバサダー(37)と岡島豪郎アンバサダー(36)が球団を通し、祝福の言葉を発表した。 銀次アンバサダーは「AJ、アメリカ野球殿堂入りおめでとう。AJと共に戦いリーグ優勝、日本一になったことは一生の思い出です。誰よりも野球が大好きで、野球を愛し、いつも相手投手を観察し、細かい野球も教えてくれました。2013年の打順、3番銀次、4番AJは本当に誇りに思います。後ろにAJがいたので心強かったです。毎打席、安心して気持ちよく打席に入る事ができていました。これからも、野球を愛し続けてください。また日本で待ってます!」とコメント。 岡島アンバサダーは「アメリカ野球殿堂入り、本当におめでとう。AJとプレーできた事は、僕の財産であり宝物です。リーグ優勝を決めた試合のタイムリーは一生忘れません。素晴らしいキャプテンシーにいつも引っ張ってもらいました。プレイヤーとしても、1人の人間としても、本当に尊敬しています。これからの人生もAJらしく豪快に楽しんでください。本当におめでとう!」と祝福のコメントを寄せた。 |
1 鉄チーズ烏 ★ :2026/01/21(水) 18:45:03.90 ID:Hwv/1aPw9
2026年01月21日 11:08 野球
スポニチアネックス取材班
米国野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の殿堂入りメンバーを発表し、ブレー*、楽天などで活躍したアンドリュー・ジョーンズ氏(48)、ロイヤルズ、メッツなどでプレーしたカルロス・ベルトラン氏(48)を選出したと発表した。オンライン会見に臨んだジョーンズ氏は2013、2014年にプレーした楽天への思いも語った。
ジョーンズ氏はメジャーデビューした1996年から2007年までブレーブスでプレー。1年目の96年はワールドシリーズ初打席から2打席連続本塁打を放ち、離れ業をやってのけた。05年には本塁打王、打点王にも輝いた。その後、ドジャースやヤンキースなどでプレーしたが思うような成績を残すことはできなかった。
オンライン会見に臨んだジョーンズ氏は現役時代を振り返り、ブレーブスを去った後も「在籍したどのチームでも、最終的にはチャンピオンになることを目指していた」と語り「ホワイトソックスとテキサスを除けば、プレーオフ争いができる位置にいたチームもあったが、結局優勝することはできなかった」と悔しさをにじませた。
特にブレーブスから移籍直後だった2008年はドジャースで75試合出場にとどまり、打率・158、本塁打はわずか3本と不振に陥った。「ドジャースには、彼らが期待していた最高の自分を見せることができなかった。そのことに対して、自分自身にとても腹が立っていた。チャンスを与えてくれたチームには、いつも全力を尽くしてきたつもりだったからだ」と自身への不満を口にした。
その後は「すべてが下り坂になっていったように感じている。野球選手として、自分が本当にやりたいことをやれる状況ではなかった」と苦しみもがいたという。
そんな中、「これだけ野球が好きなんだから、日本に行ってプレーするのはどうだろう」と思い始め、転機が訪れた。それが、日本球界、楽天への移籍だった。「チャンスをもらって日本に行き、そこで優勝することができた。毎日試合に出て、毎日野球を楽しめたし、それは私のキャリアの中でも大きなハイライトだった」とジョーンズ氏。2013年は4番打者として打線を引っ張り、球団初のリーグ優勝、日本一に貢献。若い選手が多かったチームに「勝利の哲学」を浸透させた。
2014年も楽天でプレーしたが「その頃には子どもたちも成長してきて、もっと一緒に過ごす時間が必要だと感じるようになった。そして私は、現役を終える決断をした」と同年限りで退団。その後、現役を退いたが、楽天での2年間で50本塁打を放ち、チームの中心打者として奮闘。東日本大震災からの復興途中だった東北に大きな希望を与えた。

(出典 pbs.twimg.com)
スポニチアネックス取材班
米国野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の殿堂入りメンバーを発表し、ブレー*、楽天などで活躍したアンドリュー・ジョーンズ氏(48)、ロイヤルズ、メッツなどでプレーしたカルロス・ベルトラン氏(48)を選出したと発表した。オンライン会見に臨んだジョーンズ氏は2013、2014年にプレーした楽天への思いも語った。
ジョーンズ氏はメジャーデビューした1996年から2007年までブレーブスでプレー。1年目の96年はワールドシリーズ初打席から2打席連続本塁打を放ち、離れ業をやってのけた。05年には本塁打王、打点王にも輝いた。その後、ドジャースやヤンキースなどでプレーしたが思うような成績を残すことはできなかった。
オンライン会見に臨んだジョーンズ氏は現役時代を振り返り、ブレーブスを去った後も「在籍したどのチームでも、最終的にはチャンピオンになることを目指していた」と語り「ホワイトソックスとテキサスを除けば、プレーオフ争いができる位置にいたチームもあったが、結局優勝することはできなかった」と悔しさをにじませた。
特にブレーブスから移籍直後だった2008年はドジャースで75試合出場にとどまり、打率・158、本塁打はわずか3本と不振に陥った。「ドジャースには、彼らが期待していた最高の自分を見せることができなかった。そのことに対して、自分自身にとても腹が立っていた。チャンスを与えてくれたチームには、いつも全力を尽くしてきたつもりだったからだ」と自身への不満を口にした。
その後は「すべてが下り坂になっていったように感じている。野球選手として、自分が本当にやりたいことをやれる状況ではなかった」と苦しみもがいたという。
そんな中、「これだけ野球が好きなんだから、日本に行ってプレーするのはどうだろう」と思い始め、転機が訪れた。それが、日本球界、楽天への移籍だった。「チャンスをもらって日本に行き、そこで優勝することができた。毎日試合に出て、毎日野球を楽しめたし、それは私のキャリアの中でも大きなハイライトだった」とジョーンズ氏。2013年は4番打者として打線を引っ張り、球団初のリーグ優勝、日本一に貢献。若い選手が多かったチームに「勝利の哲学」を浸透させた。
2014年も楽天でプレーしたが「その頃には子どもたちも成長してきて、もっと一緒に過ごす時間が必要だと感じるようになった。そして私は、現役を終える決断をした」と同年限りで退団。その後、現役を退いたが、楽天での2年間で50本塁打を放ち、チームの中心打者として奮闘。東日本大震災からの復興途中だった東北に大きな希望を与えた。

(出典 pbs.twimg.com)


